ゴリゴリな丸山担がゴリゴリな虹色eighterになるまで

今、うちのテレビにはリサイタル第一弾が流れていて、絶好調ナポリタンおかわり中。こんなにおかわりしてたっけ?おかわりし始めてから何分経った?って衝撃を受けているところ。

1週間と少し前の今頃、チケットのない私は、レンジャー仕様のBOYたんをそれはまぁ締まりのない表情で連写中。1週間前の予定では、今日の私は「十五祭楽しかったなーーこの楽しさでしばらく生きられるなー仕事もぱぱぱっとやっつけちゃうぜ??」ってなってるはずだったんだけど、現実は「いろいろ考えるのしんどいから、仕事ぱぱぱってやっつけまくっちゃうぜ??」って感じ。どっちにせよ仕事は片付くらしい。

エイトが形を変えるたびに、彼らへの愛と、彼らが居ないと生きていけない自分を再認識するんだけど、そうえいば私、いつからこんなエイトごと大好きだったんだっけ?ってなって、エイトとの出会いを振り返ってみたくなった。

個人的見解、エゴだらけです。ぶちまけてます。すいません。

彼らを見続けるうちに、いつの間にか、メンバーそれぞれに対する印象も想いも変化してきて、今ではゴリゴリの虹色。たくさんのeighterさんとも出会った。私の虹色は、彼らのこれまでと、出会ってきたeighterさんで形作られているんだなーってぼんやり考えた。

今言葉になるものを残しておきたいと思って、すばるくんの旅立ち以来のlaptopを開いた。

私が彼らに初めて出会ったのは、そう、あの黄金世代のJr.が8時にはしゃいでいたあの頃。ヤンマー世代な私は、同年代。当時は、ジャニーズ好きなんて恥ずかしい、って文化の世界を生きていた。もったいない、もったいないよ当時の私って、毎晩思う。

それからしばらくの間、テレビでちらちら目に入って、Mステでシングル出る度にわりと録画もしていた。そして、私的ターニングポイントの2006年。彼らと真正面から相見える。今の仕事につながる実習先で、エイトのDVDと雑誌を毎週毎週ご披露いただいて、中学生以来に出会った彼らが頑張っている姿に惚れるなんてまぁそれは簡単だった。今でも、鮮明に、見せてもらった雑誌で、豪快に笑ってた三馬鹿が思い出せる。

そして、相見えてすぐに登録したのがJohnny's net。これもまた、とても鮮明に覚えている衝撃がある。毎週木曜日、メンバーカラーの文字で彼らに会える、そう、レンジャー日記。それはもう衝撃だった。レンジャー日記の初見前は、アイドルの日記なんて表面的なもんでしょ、さらっと空がきれいだねとか言ってるんでしょ、と思って見たら、もうすみません、初見前の私、あさはかすぎでした。そこには等身大の関ジャニ∞。え??アイドルってこんな赤裸々なの?こんな自分の言葉で綴っていいの??え、親近感半端ないんですけど??好き。ってなったわけです。今思えば、関ジャニ∞に惚れ込む一番のきっかけは、レンジャー日記の彼らの言葉かもしれない。

そんなJohnny's netとほんじゃにに食らいつく毎日が続き、私が初めてライブに行けたのは、初京セラドーム。相方を得たのです。それもかなり古参の村上担。女神が舞い降りた。今ではライブに一人で参戦なんて朝飯前ですけど??って感じだけど、当時は一人でなんてとんでもなかった。なんせ恥ずかしかったのだ。うちわ振る?ペンラ振る?きゃーきゃー言う?私の辞書に存在しないものばかりだった。なぜ、丸山隆平のソロコンをスルーしたのだ、あの頃の私、天罰受けろ、と文句を言い続けている。

実はというと、その初参戦のライブに行くまでは、「大倉くん、かっこいい💛」な私だったのだけど、ライブ後には「丸ちゃん!丸ちゃん!かっこいい!!なにあれ!空回ってるのに踊って歌うとイケメン!!」てな感じに立派な丸山担当誕生。

初ライブに行って、まざまざと見せつけられたのが、メンバー同士の関係の密さと深さ。DVDでも見ていたけど、目の前で見るとわけが違う。私は当時、対人援助職を目指して目下勉強中の身だった。人と正面からぶつかって言葉を投げ合うことの難しさ、自分がそういったことがかなり苦手で、これまでおざなりにして、人と深い関係を築くことから逃げてきたことを実感して後悔しているときだった。

そんな時に目の前に現れた関ジャニ∞は、互いに言いたいことを言って、互いの悪いところも全部ひっくるめて受け入れて、グループを組んで、こんなにも楽しそうに笑っている。え、私、関ジャニ∞になりたい、入りたい、と、当時流れていたCMの亮ちゃんの投げかけに本気で答えていた。あんな風に、本音で人と言い合える自分になりたい。今、自分が従事している仕事に必要なもののいくつかは、間違いなく関ジャニ∞から得たと私は思っている。

そんな惚れ込み方をしてから、47都道府県ツアーなんて始めてくれちゃぁもう沼ですよね。脳内99.9パーセント関ジャニ∞な日々の幕開け。残り0.01は何かというと、関ジャニ∞のためにバイトでお金を稼ぐこと。47の間の私の夕飯の献立は、バイト先の売れ残りの分厚い油揚げポン酢がけだった。

当時、私が好きな丸ちゃんは、とにかく歌とダンスがテキメンにかっこいいところ。正直言って、たまに(いやいつもか)見せる空回りとか、笑い方とか、お顔真っ赤にするところとか、あまり見たくなかった。あくまで、面白くて、かっこいい丸ちゃんに惚れていた。ライブに立て続けに行くようになって、テレビでも見る機会が増えて、だんだんと丸山隆平という人の全体像が見えてきた。

そんなに自信がないこと、笑いのヒットは10本に1本ぐらいなこと、歩き方は腕を後ろにべたべたと振ること、山田だけど安くんにライバル心半端ないこと、亮ちゃんて呼ぶけど錦戸亮が本気で怖いこと、すばる君が心の支えなこと、とっても優しいけど断りにくいってこと、自分の意見が主張しにくいこと、怒られても嫌なことがあっても笑っちゃうこと、うまくいかないと本気で仕事中に落ち込むこと。

言ってしまえば、かっこよくない、情けない姿がそれはもう目に入る。なのに好きが止まらない。なんだこれ。

そんな情けなかった丸ちゃんも、ギルバート・グレイプボーイズ・オン・ザ・ランで座長になった頃には、すばる君に「最近の丸は気持ちがいい、突き抜けてる」と言ってもらえる程に、実績と自信を身に着けて、とてつもない素敵な男性になっていた。

縦横無尽に関ジャニ∞のメンバー間を行き来できてしまう丸ちゃんの存在は、関ジャニ∞に必要不可欠なボンドだよなぁ。

情けないところも、うまくいかないところも、まるっとひっくるめて、今では愛しくて大好きで。目に入れても痛くない。母親通り越して、最近ではかわいいかわいい孫を見るおばあちゃん気分にもなってきた。

丸ちゃんだけじゃなく、関ジャニ∞自体、メンバーそれぞれの印象も、私の愛で方もかなりこの13年で変化した。

その最たる人は、渋谷すばるくん。

とにかく最初の頃のイメージは、『どんな人かわかんない』。歌がうまいし、おもしろい、けど、何考えてるのこの人?ちょっと自分の世界に浸りすぎでない?アップダウン激しすぎない??間違いなく関ジャニ∞の真ん中で赤レンジャーだけど、よくわかんなかった。

すばるくんのイメージが大きく変わったのは、何かの映像で、とつとつと当時の思いを語ってくれた姿を見たとき。すばるくんってこんな風に言葉を紡ぐんだ、こんなに考えながらしっくりくる言葉を探しながら真摯に語ってくれるのか、と何度もその映像を見返した。何考えてるかわかんないって思ってたすばるくんの熱と中心に触れた気がして嬉しかったんだな。それから、まぁ、これまでの曲のMVとDVDですばるくんを中心に見返したり、ソロ曲をひたすら聞き込んだり、丸ちゃんばかり追いかけて見ていたライブも、すばるくんを目で追うことがかなり増えた。いつかのライブで、アリトロに乗ってやってきたすばるくんに自分たちのゾーンを睨まれたときはそれはもう卒倒した。

歌がうまくて、マイペースで、何考えてるかわかんない、とんでもないとがったオーラを持ってる人、ってイメージだったけど、

想いを歌に乗せられて、誰よりも繊細で敏感で、言葉のセンスが天才で、嘘がつけなくて、本気でやりたいと思っていることしかやらなくて、とてつもなく優しくて。すばるくんが楽しそうに笑って歌っている姿が、いつの間にかライブの楽しさを測るメーターの一つになっていた。

すばるくんの言葉は、すばるくんが心で本気で思っていることだとわかっていたから、信じられたし、何度も励ましてもらった。『おめでとう ありがとう 生まれてきてくれた全てのeighter』って歌ってくれたことが、今も私を生かしてくれてる。

逆に最初からずっとイメージが変わらない、好いてる気持ちも最初からずっと最大で横ばいなのが、横山さん。

関ジャニ∞へのeighterへの愛が、最初にライブで見たときから、それはもうダダ漏れだった。関ジャニ∞を意地でてっぺんまで連れていくのだという鼻息が客席まで聞こえてましたよ。言葉にも何度もしてくれていたし、ファンを楽しませようとする究極のエンターティナーそのもの。お顔の美しさは言わずもがな、そんな横山さんの関ジャニ∞愛に惚れ込みました。彼への愛は、私の中で別格です。

そんな横山さんを見慣れているものだから、あまり前面ではしゃがなくなった横山さんに寂しさを覚えていたんだけど、すばる君が旅立ってからは、またあの頃のように、関ジャニ∞を守ろう、前に進もう、って意地が感じられる横山さんで、あぁやっぱりこの人のこと、大好きだ、何が何でも横山さんについていかないと、と思わせられてる。

横山さんときたら、もう、ヒナちゃんですね、次は。

古参のヒナ担がそれはもうずっと横にいたので、ヒナちゃんは私の相方が良さを語りつくしてくれているわけですが、正直言って(正直言ってが多い)、ヒナちゃんのどこがかっこいい??って思うこと数知れずな20代の私でした。確かにスタイルは良い。なんで、丸ちゃんが着てほしいど真ん中かっこいい衣装をいつもヒナちゃんが着てんの?ってなもんでした。(今となっては丸ちゃんに丈長衣装着せてくれてありがとう)

歌にしても、ヒナちゃんの声ないほうがきれいに聞こえるよ?一秒キスのナイナイナイナイでっかくない???って思ってた。嫌いじゃないよ、好きだよ、でもさぁ、って極み。関ジャニ∞はかっこいいんだから、もっとかっこよさ出してほしいのよ、っていう思いが強かったわけですよ。

でも、エイトを見続けていれば見続けるほど、ヒナちゃんってかっこいい、大人、でも天然、愛しい、影でも日向でもエイトを支えてくれてるヨコヒナ、ってのが、嫌って程わかってくるわけですよ。

ヒナちゃんかっこいい!と悲鳴をあげるようになったのは、間違いなくイフオアに行き始めてから。相方は、ライブよりイフオア命な人で、イフオアⅠから当日券に並びまくって、「私、きっともうヒナちゃんに顔覚えられてる」って怖いこと言い始めるぐらい。私はいいやぁ、と担当以外の舞台とかライブには行く気がさらさらなかったのだけど、イフオアの公演がいつも私の誕生日付近にあることをいいことに、相方が私にイフオアのチケットをプレゼントしてくれた。当時の私たちの年頃にしてはなかなか高価なプレゼントだな。相方になんかよいものあげなきゃ。

そんなこんなで、私はイフオアⅢに、丸山担がすみません失礼しますな気分で行ったわけです。そこで出会ってしまったわけですよね、ヒナちゃんの巧みな話術と、演技と、伝説の先生に…。それからというもの相方にくっついてイフオアに毎年おじゃまするわけですが、スパイなヒナちゃんと、スカートからパンツ丸見えなヒナちゃんが忘れられない。

DVDで画面越しにマイクを真摯な表情でeighterに向けてくるヒナちゃんとか、十五祭で「ここにある熱いものが似ているからきっとそうだろう」と想い込めて歌い切ってくれたヒナちゃんが、大好きです。

さぁ、もう書いてて涙が止まりません。三馬鹿大好き。三馬鹿ってのに愛着が沸いたのも、ライブに行き始めてしばらく経ってから。十祭のロマネを、年下組と対照的に感慨深く締った表情で歌っていた三馬鹿が忘れられない。明日はどっちだ、なんて三人でじゃれあいながら番組やってたあの頃、道を分かつ日が来るなんて。十五祭のオブリガードで、ステージが最初に赤く輝くのは、すばるくんだと、私は勝手に思い込んでます。

すばるくんの次に、最初と今の印象が違うのは、安くん。

安くんってかっこいい?なんかごついけど?たまになんかほにゃぁってぶりっこさんになるけど、別人??すばるくんにいちごとられて泣いてるけどなんで??なんかメンバーにやられまくって馬鹿にされまくってるけど大丈夫??って感じ。安くんに対してエイトのみんな、遠慮がなさすぎてハラハラしてた。相方が、安くんの謎語録を私にひたすら見せてきたときも、何なの安くん、って?がいっぱい私の頭に浮かんでた。

安くんは、私のなかで一番最後に魅力に気づいた人。遅いよ私。なんで安くんの良さがわからない、20代の私子供だな、今の私はとても怒ってるぞ。

安くんが、関ジャニ∞の精神的要であることは、ライブを見続けて、MCで聞いて、雑誌のインタビュー見て、言わずもがな気づいていった。底抜けの優しさとか、自分のこと後回して愛を無料配布しちゃうような。丸ちゃんとはまた違うボンドで、エイトのひとりひとりを結び付けてくれている人。人として、安くんのことを尊敬するにはそう時間はかからなかった。

そんでもって、安くんの色気にからめとられるようになったのが、その少しあと。もちろん、desireもひとつのポイント。相方の実家の大ビジョンであれを見て、「安くんってこんな色気あった???」と相方と小一時間語ったものだ。

でも、それを遥かに超えてきたのが、ジュリエット通りを経験した後の、ニズムコンのアイライロ。色気しかない。声がイイ。色気しかない。今思い出しても背筋ぞわっとする。そして、俺節。コージ。命の叫びだった。色気もあるけど、安くんの声と歌が本当に『ビリビリ』心と脳天に響いて、痛かった。安くん、あなたは何者なの??って安くんという人の底知れなさに涙がこぼれた。ジャニヲタじゃない人と見にいったもんで、なんか恥ずかしくて(まだ言ってる)最後に立って拍手できなかった。なぜあの時、ありったけの感動を態度で示さなかった自分!とやっぱり私に怒ってる。

私は、落ち込んだり、明日が来てほしくないときに、決まって十祭のありがとうを見る。安くんが、「一度きりだけの人生じゃ伝えきれない 二度目の人生も みんなに伝えるため会いに行くね」って歌うところがもう大好きで。エイトがエイトを想って書いたものだけど、eighterにも歌ってくれてる気がして、そして安くんなら本当に二度目の人生も会いに来てくれそうで、これを見るとほっとして眠れるのが不思議。でも安くんも一人の人間だともう知ってる。これからは遠くからでも安くんを1ミクロンでも支えられる存在で居られるようエイトについていく。十五祭のここにで、亮ちゃんと肩を組んでくれた安くんが今は頭から離れない。

そして、そんな亮ちゃん。もう、ほんともう亮ちゃん。亮ちゃんのイメージも、考えたら最初と比べたら随分違うなぁ。

こんな器用でアイドル恥ずかしがってる人が、なんでジャニーズに居るの?????って疑問をまず最初に持った。そして、なんでそんなに丸ちゃんにきついの?なんでそんなすぐ怒るの?怖いよ錦戸さん、って思ってた。

なんで亮ちゃんみたいな人がジャニーズに?ってのは今もなお持ち続けている疑問で、同時に、そんな人が関ジャニ∞に居てくれたことが、本当に嬉しいことでもあるんだなぁ。すばるくんと一緒で、嫌なことはしない、素直で嘘つけない、正直すぎてヒナちゃんを慌てさせる。すばるくんがエイトに居ることが、亮ちゃんがエイトに居てくれる大きな意味の一つだよな、ってずっと思ってた。

器用そうに見えて、かなり不器用で、人一倍気持ちを出すのがへたくそな亮ちゃんが、ほほえみデートで丸ちゃんに歌を書いた。亮ちゃんが、言葉にこんなに想いを乗せた。それだけで亮ちゃんに惚れ倒すには十分。そのうえ、泣いちゃう?何もう天使??丸担としては、こんなにこんな素敵な亮ちゃんに想われる丸ちゃんすっげぇぇぇ!!ともなった。あのほほえみデートを、また笑い泣きしながら見れる日が来たらいいなぁ。

亮ちゃんは言葉少なだし、すぐ照れる。でも態度ですぐわかる。だから、エイトに亮ちゃんが存在するってことだけで、すべて伝わってきてた。6人になったときに、GR8ESTの初日に、応答セヨの亮ちゃんの声で、エイトを引っ張ろうとする覚悟を感じられた。正直、言葉は欲しい。全部知りたい。でも、最後まで亮ちゃんらしいな、って引き際。

亮ちゃんの当たりくじとか、マル!って丸ちゃん叱ったり、マール!って丸ちゃんにじゃれたりするほほえみだったり、かっわいいヤンマーだったり、スマートすぎるtornだったり、角だけ食べてなよこりょだったり、お兄ちゃんに甘えるひなりょだったり、手を握り合う気まずいだったり、まだまだ見たい。ほほえみでまだ歌、なかったやん。夢じゃなくて幻になっちまったよ。

亮ちゃんのイケメンさはまぶしすぎて直視できなかったけど、6人になってからの錦戸亮は、顔とかスタイルとかじゃなくて、本当にかっこよかった。すばるくんが旅立ってから、錦戸亮が好きになりすぎてて、今本当に寂しい。

そして最後は大倉さん。たっちょん。私、ほんとはたっちょん呼びずっとしたいんだけど、なんかもうアラサーな自分がそれを許さないんですけど、いいですかねたっちょんって言っても。

彼は、印象が変わったというか、彼自身が、ものすごく変わったように感じる。最後にエイトに入ったってことで、彼自身のエイトの中での立ち位置もどんどん変化したからなのかなって勝手に思ってる。

最初に目を奪われて、私が恋したのは、最初にも書いたけど、大倉さん。見た目の良さはまさにアイドル。でもさ、ほんとしゃべらないんですけどこの人??「ふふふっ」ってかわいく笑ってるけど、あれ今日のほんじゃにでこの人喋った??ジャニ勉でも相変わらずしゃべってないんですけど?あぁでもイケメン。まもられたい。けど年下だもんなーーって印象。

でも早々にイケメンだけのキャラではなくなった。47のレンジャーではっちゃけるはっちゃける。え、この人、こんな爆発力持ってるの、この言葉のチョイスすごくない???って面白すぎない?ってことで、はい、ひとつ壊れました。

そして、レンジャー日記で、8→1を書き続けたこと、必殺仕事人を終えるときの言葉。それからも書き続けてくれたまっすぐで、おもしろい、言葉の数々。あれ、この人、すっごく繊細で熱くて、そしてものすごい普通の感覚持ってる人だ。そんでもって、とてつもなく言葉を介したコミュニケーション力高い。関ジャニ∞に世間の常識って風を吹き込ませてくれているのは、間違いなくこの人だな、って思うようになった。

仕事で、日々言葉でどうしたら気持ちって伝わるのか悩む私には、彼の言葉力はうらやましくてたまらない。天性というより、努力して身に着けたものなのかもしれないけど、彼の発想力と間の取り方、言葉の選び方は、尊敬しまくってる。イケメンな上に、そんなもの持ってるのたっちょん。年下なんて関係ないわ、惚れてるわ。

いつごろか、大倉さんが、歌がうまくなりたい、ってよく言ってるときがあって、それを時々思い出す。今の彼の歌は、上手いだけじゃなくて、しっかり想いが乗っかってる。関ジャニ∞のために、ってすごい言い始めた頃もよく思い出す。今の彼は、誰よりも外から、eighterの目線から関ジャニ∞を冷静に見てる。先も見据えてる。そして、自分の状態も言葉にできてしまう。自分の立ち位置とするべきことが見えすぎている人だから、泣きたいときはなくし、つらいときはしんどいって言うと言ってくれたことに救われた。

お兄ちゃんたちに、言いたいこと言いまくって、大口あけて笑って、丸ちゃんを大いに甘やかしてくれる大倉さんが居る限り、eighterにはまっすぐな言葉が降り注ぐと信じてる。

丸担な私には、なぜか大倉担さんがたくさんつながってくれています。それはもうゴリゴリな大倉担さんたちが。ほんっとに愛が底知れない大倉担さんたちが(もういい)。一緒にツアーにまわってくれて遊んでくれる大倉担な友人の関ジャニ∞愛が、私の虹色の一部になってる。

あれでもおかしいな、私丸担なのに、丸ちゃんのこと書いてるとこより、たっちょんの部分長くない??

一番最初はほんとに丸ちゃんへの興味がほぼ9割。それが、気づいたらきれいな虹色。エイトに大切にしてもらってる感覚が、ライブに行って彼らに会う度にたまっていって、虹色が濃くなってきたのは当たり前だったなぁ。虹色って関ジャニ∞そのものの形、それぞれの関係性、7人で騒いで楽しくて笑って、あほやなぁって涙流せるそんな彼らが大好きってことと、7人それぞれが愛しくて仕方がないってこと。そんな私をよく知ってる同僚さんには「関ジャニ∞は家族だもんね」なんてコメントをもらった。ほんとそんな気分。彼らはいつも隣に居てくれた。

あーーーーーーー7人の関ジャニ∞と青春しまくったなーーー!!

エイトからもらったものはそれはもう体に染み込みまくってるし、一緒に過ごした時間もちゃんとある。もっと昔から、彼らと歩みたかったと思うけど、これからいけるとこまで彼らと歩む覚悟を決めている。

これから先のエイトがどうなるか、青春が終わってしまった寂しさなんてのも感じてるけど、まだまだ関ジャニ∞と青春したい。続けることが、今は最大の目標っていうのも、寂しいけど、それが今のすべて。

あんなに楽しく、笑って、優しい十五祭をeighterにプレゼントしてくれて、ありがとう、関ジャニ∞

2回目の47を走り抜けるころ、どんな景色が見えてるのかなぁ。色んな気持ち抱えて、エイトとeighterさんと出会えるまであと少し。

きばって、ふんばって、前向きに、がむしゃらに、目の前の向こうへ、生きていかなきゃな。

最後に、これまで、私はたくさんのeighterさんに出会った。

それぞれのeighterさんの、彼らへの想い、感じ方、見え方を教えてもらってきた。

その想いも、私の虹色を構成してる。

一緒に、笑って、悲しんで、叫んで、歌って、遊んでくれるeighterさんたち、いつもありがとう。ありがとう。