関ジャニ∞を好きになるということ。

2022年は、5人の関ジャニ∞が『今』を楽しんでいる姿を目の当たりに出来た1年だった。

8BEATでエイトとeighterが再開し、ロッキン中止を乗り越え、18祭夏で関ジャニ∞の真髄を見せてもらい、関ジャニ∞18祭冬では「ドームにおかえり」と叫ぶことが出来た。

 

関ジャニ∞はもう人生そのものになってきているのだけれど、改めて、関ジャニ∞を好きになるということは、どういう意味があったんだろう、と振り返ってみた。

 

私が初めて関ジャニ∞と生でご対面したのは、2007年の初京セラドーム公演。

Jr.の頃から、彼らのことは日常的に目にしていた。いわゆる、黄金世代と同世代の私は学校でも当然のように、タッキー、小原くん、Kinki、V6とジャニーズの話でもちきりだった。(「Can do! Cango!」は魂に染み込みすぎててもう踊れると思っている。※もちろん踊れない。)

関西在住なこともあって、関ジャニ∞が結成されてからも深夜帯の番組などでよく目にしていた。その頃はまだ彼らを特別視しておらず、多感な年齢になり、ジャニーズ外のアーティストにはまったこともあり、「ジャニーズなんて」という立場にすらなっていた。

 

そんな私が関ジャニ∞と真正面から再会することになったのは大学生時代。

当時出会った一回り若い女の子と、『Spirits!!』、『Heat up!』を延々鑑賞する機会に遭遇。三馬鹿が楽しそうに笑っている雑誌も目にした。その時の感想は「テレビで見なくなったけど、皆まだがんばってるんや。」

それから、関ジャニ∞を「勉強」することになりレンジャー日記を読み始めた。

当時驚いたのは、彼らの赤裸々すぎる、飾りのない、そこら辺にいる関西の兄ちゃんたちの文章。ジャニーズアイドルに抱いていたイメージをぶち壊された。

こんな等身大でええの?もっとキラキラせんでええの???と、脳内で?マークが量産された。

 

彼らを知れば知るほど、関西の兄ちゃんが楽しそうに舞台上で跳ね回ってると思えば、急にクールに決めてくるもんで、惹き込まれるのに時間はかからなかった。

 

同世代を生きる、同年齢集団の生き方にもとても興味が沸いた。

モラトリアム真っ只中。自分探し、人付き合いって何、なんて迷路に迷い込んでしまっていた当時の私にとって、関ジャニ∞というグループの在り方、関係性はとても眩しかった。

 

当然、見えないところでは葛藤やすれちがい、摩擦なんてものもあっただろう。でも、当時私の目に映った彼らは、本当に眩しかった。お互いの多くを知って、好きや嫌いという概念なんて既にない。良いところも、好ましくないところも認め合って、それを魅力とすらして前面に恥じることもなくさらけ出して、ただ一緒に居る。

 

その関係性を感じたくて、なにはともあれライブに行くことにした。

初京セラドーム公演。一般発売でチケットを手にし会場へ向かう。バクステ上の天井席。ただ、いざライブに参加しても、序盤は「ジャニーズなんて」は簡単に抜けきらずいた。しかし、ライブが楽しすぎて簡単にほだされ、帰る頃にはすっかりジャニヲタになっていた。うちわを持つなんて!という恥ずかしさも、ぶっ飛ぶエンターテインメントだった。

驚いたのは天井席でも彼らを近くに感じられる演出。スタンド席を煽ってくる彼らの遊びにそれはそれは楽しませてもらった。

そのライブでは、ジャニーズではSMAP以来の47都道府県ツアーが発表された。それからは、足しげく郵便局のATMに通いツアーに申し込む毎日になった(振込用紙はいまだに保管されている)。今思えば、あの初京セラの興奮がさめぬままの怒涛のツアー日程。「お前ら逃がさんぞ」という覇気を感じる、見事な流れだった。その舞台を用意してくれたどこぞの誰か様たちには改めて感謝申し上げたい。

 

さて、47ツアーに通いつめ、eighterと名乗るようになった私。その後もライブに舞台に、それはもう楽しい時間をたくさんいただいた。

そしてある時、自分の変化にふと気づいた。

幼少の頃から人見知りで出不精、服は着られればなんでもいい、自信もなく、学校も休みがち、見事な引っ込み思案だった私。それが、一人でも外出・外食が出来るようになり、服にも興味が沸き(バイト代散財)、人との出会いも楽しくなり、The大学生活を謳歌するようになっていた。

関ジャニ∞がまるっとファンを愛して大切にしてくれるあの空間に、癒され、励まされ、満たされて、背中を支えてもらえて、生きることが楽しくなった。

年齢的なこともあるだろうけど、この頃、素直に人とぶつかること、向き合うことが、出来るようになった。彼らの背中を見てきたことと、無関係ではないと思っている。

 

関ジャニ∞が全国区にのぼりつめようとしていた頃、横山さんの第三弾ソロコンの年に私も社会人になった。大学院までモラトリアムをしたので、少し遅めの社会進出。私もついに、社会の理不尽さを知ることになった。

あぁ、エイトは(形は違えど)幼いころからこんな理不尽を経験してきていたのだなと呆然とした。

目の前のことに必死で、将来どうなりたいとか、この仕事はこうしていきたいとか、前を向くことが難しい。毎日終電近くの帰りになり、うまくいくことの方が断然少ない。夢の中なのか、起きているのかもわからないぐらいになった。ツアーが終わり友人を新幹線の駅まで見送る時、「明日からの現実に戻りたくない」と大泣きした日もあった。

そんな日々の中で、関ジャニ∞の背中はそれはもう光り輝いていた。その光を頼りに、どうにか毎日もがいて、ライブで会える日を楽しみに生きていた。

∞祭の丸ちゃんのブースのノートに、「同じ時代を生き抜く戦友と思っている」と書き残した私は、かなりのワーカホリックだったと思う。もう少し丸山隆平くんへの愛を叫びたかった。

 

そんな生活を何年も続け、仕事になんとなくこなれてきた頃、人の心に触れる仕事柄、言葉で伝えることの難しさを痛感した。仕事仲間との関係性が出来たがゆえに、失敗がものすごく怖くなった。そんな時も、関ジャニ∞彼らの姿に励まされた。

ヒナちゃんの「失敗してなんぼ」の言葉を胸に、何度も会議に向かった。

どうしようもなく無駄だと思えた時間は、脳内で二人の花をエンドレスリピートさせて耐えた。

何でもない一人の私のような大人が放つ言葉より、アイドルが放つ励ましの言葉が多くの若者を支えているのだと、仕事柄目の当たりにすることも多く、ジャニーズアイドル

には足を向けて寝れないなと思う日もあった(私なんぞの言葉なんて、と少しの嫉妬もあった)。一方で、言葉だけではなくて伝わるものがあるということもライブの彼らの姿から教えてもらった。

 

関ジャニ∞と一緒にこの時代を、風をきって、がむしゃらに頑張って生きているのが爽快で、充実感と達成感があった。

しかし、若さだけで走り、力加減を知らず、重責のある仕事を背負い、無力感ばかり抱くようになって数年が経った2020年。ついにぶっ倒れた。今思えば、2人のグループからの旅立ちへの絶望(朝起きる度に現実を受け入れられず涙が勝手に流れてた)、エンタメが一気になくなった事態は、間違いなく倒れる最後のきっかけの一つだった。

 

仕事を休ませてもらい、少し余裕が出てきた頃にこれまでも振り返った。

驚いた。

振り返ろうとしても、この疾走感で達成感を感じていた数年のことを思い出せない。

そこで、エイトのライブを年ごとにまず書き出してみた。すると、なんとなくいつ頃に、自分が何の仕事をしていて、どんなことを考えていたか、思い出せるようになった。すげーぞ関ジャニ∞(自分がエイトを好きすぎるだけ)。

 

それから時間をかけて、これからの自分の目標を立てた。

誰かと比べず、無理せず、自分らしくあることを大切に。

自分が頑張ったことは素直に褒める。

失敗したってええやない。

 

関ジャニ∞の姿そのものだった。一緒に疾走感を感じて走っている間、関ジャニ∞も頑張って走りすぎてたのかな、と勝手に想像した。

コロナ禍での休職生活。近くの公園に行く以外は、ほとんどが引きこもり時間。エイトが、何とか光を消さないように、社会のために、皆のために、自分たちのために、ともがいている姿に何度も励まされた。キミトミタイセカイに懸けた彼らの時間と想いに、何度も励まされた(曲自体は応援ソングではない)。

 

仕事に復帰して数年経つ。エイトのライブに行く体力なんて、もうなくなったのではないかと思っていたし、実際ライブや舞台に行った後には何度もへとへとになった。

でも、声出しのライブが戻ってきた。あの空間に戻れたことは、とてつもなく幸せで、またあの場所に行けるという未来があるだけで生きていく糧になる。

 

今の関ジャニ∞も、見えないところで知らない葛藤を抱えているかもしれないけれど、これまでの荒波を乗り越えて、地に足裏しっかりつけて立っている姿はとてもとてもカッコイイ。

本当は包み隠しちゃいそうになることも真っすぐに言葉に乗せちゃう大倉くんを、とても尊敬している。自分の仕事柄、とても羨ましい力。私にはない力。

でも、私にしかできない仕事の仕方もあって、仕事でご褒美のように嬉しいことがあると、それは仕事の経験を重ね、前にちゃんと進んできた努力の賜物だと、自分を褒められるようにもなった。

 

自分らしさで勝負すること。仕事の先輩にも教えてもらってきたことだけれど、関ジャニ∞にそれを大肯定してもらえているのが、私の人生の幸せなことだと思っている。

 

ちょっと関ジャニ∞に依存しすぎな私の人生(ちゃんと関ジャニ∞以外の人生も過ごしている、はず)。関ジャニ∞を好きになったからこそ苦しいこともあったけれど、関ジャニ∞を好きになったから私の人生は間違いなく豊かに彩のあるものになった。

 

彼らのこれからに幸あれ。